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Book Review and note

インド仏教が目指した修行道の到達目標はどこにあるのか?『倶舎 ~絶ゆることなき法の流れ~ 』(龍谷大学)

 

5世紀頃のインドの大学僧、ヴァスバンドゥが著した『阿毘達磨倶舎論』(倶舎論)には、修行道すなわち仏教実践がまとめられている。この修行道の内容は、現代人の日常からかけ離れた、かなり高度なレベルであるから、実際に到達するには難しい点も含まれる。しかし、実践するかしないかは別として、インド仏教が目指した修行道の到達目標がどこにあるのかを知ることができる。

”無学の阿羅漢”が、長い修行道の一つの到達点。

修行道は『倶舎論』の第六章「賢聖品」にまとめられ、修行道のそれぞれの段階で到達する成果や功徳が明らかにされる。この修行道の中核にあるものは「四聖諦」である。まずは凡夫において四諦現観に備え、つぎの聖者において四諦現観を行い、長い修行道をひとつひとつ果たしてゆく。『阿毘達磨倶舎論』全体の構造が四聖諦をもとにしているのも、それが仏教実践の基本ゆえである。 

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①修行道の出発点 

 【修行道の到達目標】

・三慧の獲得

・身心の清浄

 修行道の出発点として、まずは「戒」による規律ある生活により、「三慧」を獲得する。三慧とは、教えを聞くことで獲得する聞慧、それを正しく考えることで獲得する思慧、考えたことを実際に修めることで獲得する修慧をいう。三慧は修行道全体に貫かれる智慧である。つぎに「三浄因」による身心の清浄を行う。三浄因とは、自らを悪から遠ざける身心遠離、いまあるものに満足して必要以上に求めない喜足少欲、煩悩を断じ道を修めようと心がける四聖種をいう。

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➁凡夫の修行道(世間道)

 【修行道の到達目標】

・心を整える

・真実を観察する

・苦を理解する

 まず「五停心観」により、煩悩を抑制して心を整える。三毒・我見を対治し、数息観を行う。つづいて「四念住」により、真実を観察する。真実とは、身体は不浄なもの、この世はすべて苦なるもの、心は無常なるもの、法は無我なるものをいう。つぎに「四善根」により、四聖諦を観察し、「苦」の理解を深める過程を経て、世俗の最高位を目指す。四聖諦とは、この世は苦とする苦諦、苦には原因があるとする集諦、その苦を滅ぼす滅諦、その苦を滅ぼす道とする道諦をいう。

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③聖者の修行道(出世間道)

 【修行道の到達目標】

・煩悩を断じる

・解脱を獲得する

・無学の阿羅漢となる

 聖者の位に至ると、四聖諦を観察する「無漏の智慧」により、あらゆる煩悩を断じ、直後に生じる智慧によって解脱を獲得する。まず「見道」では、四聖諦を観察する智慧が働き、道理に迷う煩悩「見惑」を断じる。つぎの「修道」では、感情面で迷う煩悩「修惑」を断じる。修行道の最後は、「金剛喩定」により、すべての煩悩が断じ尽くされたことを確認する智慧、「尽智」が生じる。これ以降を「無学道」といい、もはや学ぶ必要がないという、悟りきった状態をいい、「阿羅漢」と呼ばれる。阿羅漢には、利他を行うのにふさわしい人、供養(尊敬)に値する人の意味がある。無学の阿羅漢は、人を自在に導くすべを得ているものとなる。

この「無学の阿羅漢」が、長い修行道の一つの到達点となる。なすべきことをやりおえて、すべての業は尽き果て、もはや二度と輪廻において再生しない「般涅槃」、完全な悟りが得られる。

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・引用図書

『倶舎―絶ゆることなき法の流れ (龍谷大学仏教学叢書 4)』「第3章 悟りへの道を探る 1.修行道と智慧」(田中教照)pp.225-261

 

倶舎―絶ゆることなき法の流れ (龍谷大学仏教学叢書 4)

倶舎―絶ゆることなき法の流れ (龍谷大学仏教学叢書 4)