チベット仏教の「ゲルク派」。ダライ・ラマ法王も属するこの最大宗派は、14世紀後半になって現れたツォンカパという宗教的天才が立宗した。
ゲルク派は、ツォンカパの独創的な哲学。
■ツォンカパの出現
ツォンカパ(1357-1419)はアムド地方で生まれ、16歳で中央チベットに向かい、密教、般若、中観、唯識、論理学などを学んだ。カダム派やサキャ派の寺を訪れてはディベートを行い、無敵の強さでその名を轟かせたという。ある時、ツォンカパは文殊菩薩の姿を見、声を聴くことができるウマパという一僧と出会う。ツォンカパはウマパの見る文殊菩薩の導きをうけて、思索を深めていった。そしてツォンカパは、38歳頃、一人の人が仏陀の覚りを得るために辿る修行の道の中に、仏教のさまざまな教えをひとつも排することなく位置付ける一つの体系を作り上げた。
■ツォンカパによるゲルク派の台頭
伝記によると、ツォンカパの出現前は、総体的に仏教を学び実践するものはおらず、また、戒律も護られていなかったという。これに対してツォンカパは、顕教や密教の教学と、戒律を護るカリキュラムを提唱した。ツォンカパの体系が論理的かつ包括的であったこと、また、その追随者が教学とカリキュラムに則り学究に励んだことから、ツォンカパの集団は次第に他派を圧倒した。チベット各地にゲルク派の僧院が広がっていき、ラサ近郊のドク山にガンデン大僧院を建立した。ここから「ガルク(ガンデンの教え)」となり、「ゲルク」と呼ばれるようになった。
一人の宗教的天才が智慧の杖で地面を突き、その波動は四方に広がっただけでなく、時間を超えて我々の所までも伝わった。
ゲルク派の体系は、顕教の全体像として、①ラムリム(覚りへの道の階梯)、②中観帰謬論証派の空性がある。つぎに顕教を前提として、③密教の実践の階梯(生起次第、苦境次第)がある。
①ラムリム(覚りへの道の階梯)
ラムリムとは、一人の人が仏陀の覚りを得るために辿る修行の道を、段階を追って説明したものをいう。このラムリムはインド高僧アティシャの修行体系であり、その弟子から始まるカダム派中心の教えであった。ツォンカパはこのラムリムを受け継いだ。
ツォンカパは、ラムリムの修行体系を踏襲しつつ、大乗仏教の精神「菩提心」を全ての根本とした体系に発展させた。さらに、大乗仏教の修行階梯「六波羅蜜」にある分析的瞑想の箇所では、中観帰謬論証派の立場を論証し、それを密教も含めて全仏教を支える根本的な空理解とした。
■ラムリムの利点
ツォンカパはラムリムの修行体系が優れている理由を4つあげる。すなわち、(1)仏教の教え全てが矛盾なく理解できる、(2)仏の説いた経典の言葉全てが実践に即した教えとして身につく、(3)仏の言葉の真意が容易に理解できる、(4)仏説の全てを正しい順序で学べ、取捨選択をすることがない。
■覚りへの道の階梯
覚りへの道は大きく4つに分かれる。すなわち、(1)「前提」師を求め、有暇具足を自覚する、(2)「小士(在家者)」仏法を信頼し帰依する。輪廻からの解脱を願う、(3)「中士(出家者)」解脱のための出家。苦諦と集諦からの解脱を願う、(4)「大士(大乗仏教者)」一切衆生を苦しみから救済をする菩提心を起こす。そのために、7つの因果の秘訣、自他交換の瞑想、菩薩行、智慧波羅蜜、密教を行う。
②中観帰謬論証派の空性
ツォンカパにとって一切衆生の救済が仏教の最も重要な目標である。それを支えるものが、縁起する存在を重視する空理解であった。大乗仏教の立場は中観思想であり、根本的な主張は「一切法は空」となる。中観思想の真意とは、仏教の教義「縁起」と空性とは全ての存在の本質であり、結びついて成立することある。中観帰謬論証派はこれを正しく解釈したものであると主張する。
■中観思想
物事は縁起により存在し「同時に」空である。ゆえに、実体性(自性)をもっていない。「同時に」はすべての存在に成り立っている。ゆえに、縁起と空性は結びついて、存在の本質となる。
■ツォンカパの主張する中観帰謬論証派の空性
ツォンカパはウマパの見る文殊菩薩の導きをうけたが、なかでも一番重要なのが、中観帰謬論証派の空性理解であった。
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我々が「存在している」と思っているものは全て、それを把握している意識により概念的に名付けられた存在 である。ゆえに、概念的意識という縁で生起したものである、という意味で「縁起」している。
概念的思考による名付け・意味付けを免れるようなものは何も存在しない。あらゆるものは、それ自体での存在性を持たない。つまり、それ自身のうちに存在根拠を持っていない。
本質的に実体のない空なるものでありながら、「同時に」、縁起している存在を認める。つまり、物事の因果関係が空虚なものでなく、信頼できるものであることを前提とする。
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この前提により、輪廻のなかで修行することが、仏陀となるための原因を蓄積していくこと、および、仏陀となったときにも、その本質は空(法身)でありながら、「同時に」、縁起のなかで一切衆生を救済するもの(色身)という二面性を併せ持つことになる。
③密教の実践の階梯(生起次第、苦境次第)
ツォンカパは『覚りへの道の階梯大論(ラムリム)』の大部分を顕教の体系とし、別途、『秘密真言の道の階梯(ガクリム)』に4種類のタントラを詳説する。密教経典のなかでは、中観思想のナーガールジュナ作『秘密集会タントラ』を重視した。
ツォンカパは密教の道の実践の階梯は、『秘密集会タントラ』の解釈「聖者流」に基づいた、生起次第と苦境次第の2つのステップからなる。
■生起次第
最初の階梯では、金剛阿闍梨による「灌頂」の儀式を行う。修行者は仏や仏の世界を観想(曼荼羅、真言)し、自身と仏との一体化することにより、智慧の資糧を積む。こうして目指すべき境地を明確に意識し理解することで、次の苦境次第の準備をする。
■苦境次第
生起次第の観想から、実際に好みを変化させて仏の身体を獲得することを目指す。その行法を理解するために2つの前提が必要となる。ひとつは、無上瑜伽タントラの考える人間の身体の構造の理解。もうひとつは、死と再生のプロセスの理解である。
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・引用図書
『新アジア仏教史09チベット「須弥山の仏教世界」』(編集委員 沖本克己、編集協力 福田洋一、佼成出版社、2010)、pp.59-61, pp.201-217
『図解 チベット密教』(田中公明、春秋社、2012)、pp.87-96
- 作者: 沖本克己【編集委員】,福田洋一【編集協力】
- 出版社/メーカー: 佼成出版社
- 発売日: 2010/04/27
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